おさ'んぽ⑩

 藤沢駅南口のロータリーを抜け江ノ島に向かおうと歩き始めた。交差点にあるビルの3階が藤沢市社会福祉協議会。「安心センター」「ボランティアセンター」「地域福祉センター」の文字が窓いっぱいにあった。45年ほど前に社会福祉事業従事者となった頃にはとても考えられなかった。当時は施設入所が福祉サービスだったから、駅近くのビルに事務所を構えるなど考えようもなかった。"安心"も"ボランティア"も"地域福祉"もなかった。時代は、安心して、地域社会の中で、自分らしく、ボランティアさんの協力もいただきながら暮らすことがテーマになっていると実感した。

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しばらく歩くとチャリティコンサートなどでお世話になる市民会館の前に「すかいはーと」。(福)ひばりさんの経営するレストラン。日曜日も営業。場所柄もあろうが、障害福祉事業だからと言って土日休みが当り前の時代は去り、地域社会のニードに合わせて休日営業も当たり前になったようだ。

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さらに進むと藤沢市保健センター。かつては神奈川県中央児童相談所のあった場所だが、記憶に残る景色は全くない。県中央児相の敷地より広いのは看護学校が移転した跡地と合わせて建てたからのようだ。児相があった頃は、暴走族が湘南海岸に集結した時期だったから、バイクが迎えに来て真夜中、逃げ出す少年がいたことを思い出した。その頃、韓国から来た少女が一時保護された。少女は日本語が話せず、ひたすら"オンマ~!オンマー!(お母さん)"と叫び、泣き続けていた。韓国人と離婚した母親が連れ帰った直後、その母親が病に倒れやむなく一時保護。異なった環境、言葉、食べ物...。少女が泣き続けるのは良く判る。夜になると母親が去った江ノ島方向に向って歩き出す。伝わらないと思いながらも諭すように話しながら連れ帰った記憶の道をたどる。当時の面影は全くない。いつの時代も苦しみを目の当たりにする子どもの話は尽きない。その時、先輩職員から"子どもは泣くのが商売。ほっとけ!"と言われた。ひどいことを言う人がいると思ったが、世間にはどうにもならないこともあると子どもに教える必要もある...としばらくして考えついた。かつての会津藩の躾でいえば"ならぬものはならん!"。江ノ島までほぼ1時間。少女にはとても歩けない...。

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海の見えるところまで来たら「鵠生園」があった。昭和49年創立で市内最初の特別養護老人ホームとホームページにあった。当時から認知症高齢者を受け入れる施設として運営されてきたそうだ。観光地に社会福祉事業所を見つけた。新江の島水族館でアポロの利用者がお手伝いさせていただいているが、観光事業にも当たり前に障害者が参画する何かがあればまさにインクルージョン。(2017.1-②IMG_20161205_153342.jpg

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