"テレビを見る...、時代を見る"

哲学者の鷲田清一さんが新聞のインタビューで「言葉をテレビ番組から引いていることもありますが、テレビはよく見るのですか」と聞かれて「よく見ます。好きなのは料理番組とドラマ。ニュースはつい勘ぐってしまうので疲れるため、あまり見ません。料理番組はうその言葉がない。ドラマはフィクションなので心底楽しめる。NHKの朝ドラから民放の深夜ドラマまで見ます。」と答えていた。同じ~と思った。見ないわけではないが最近は腹の立つニュースが多くほっこりすることがほとんどない。殺戮現場の映像を見たいと思えない。うそつき発言も、刹那的な市民の声も聞きたくない。鷲田さんとは少し違うようだけど見たくない気持ちは同じ~と思った。料理番組はものにもよるが、たわいもなく楽しめる時と料理の真骨頂を見る楽しみは違う。NHK特集の二人の天才料理人の話は驚きと仕事に対する真摯さで心踊った。寿司職人は90歳を超えて更なる高みを目指す。握った寿司がテレビでも判るぐらいす~っと沈む。握り方だそうで最高の江戸前。天ぷら職人が何も言わずに食べる。言葉ではなく"食"を通して会話する。大親友でライバル。寿司職人もまたお任せで天ぷらを食べる。料理番組なのかわからないが、職人の真髄を見た。天才は努力の人...。「サラメシ」は、働く人の昼食を番組に。小休止で見るから録画している。多様な企画で"食"を紹介しているが職業紹介番組だと思っている。工場と原材料を結ぶ私道を走る2連のトレーラー運転手。そんな仕事があるんだ...と。そこから社会を見るのが楽しい。

 ドラマは録画する。見終わったら消す。2時間ドラマの設定が嘘っぽくて最近はあまり見ない。お気に入りは朝ドラ「ひよっこ」。世代が近く親近感がわく。自分がその時どうだったかと思いめぐらす。集団就職の場面で、連れ合いが中卒時、成績優秀な同級生が集団就職で東京に行った話をした。その時代は学力ではなく親の経済力で進路が決まった。今も実態は変わらない...。集団就職後、夜学で勉強し保育資格をとった仲間を思い出した。見ていただきたいのは桑田圭祐の歌が流れるオープニング。時代がかった日用品が並び、田舎から出てくる主人公を表現。初期の洗濯機を見つけられる人はそれなりの年代...だろう。深夜ドラマではWOWOW提供の「犯罪症候群」。多様な俳優の出演、数冊のネタ本の脚本、先が読めずハラハラしたままの最終回だった。料理とドラマの二面を持つ「みおつくし料理帳」は時代劇。料理とドラマで二倍の楽しさ。

最近は、家族そろって見る時代と違い一人静かに見る時が多い。当時は録画して見るなど想像もしなかったが今は当然。何もかもが時代とともに変化する。児童養護施設園長で児童憲章の起草者の一人・故高島巌さんが"夢の中でさえ見ることができない世界を歩む..."と子どもたちを表現したが、時代に添うことは結構難しいものだ。(2017.6

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