おさ'んぽ~体験的福祉の歴史散歩~④

"親子関係"や"家族問題"に目が行くようになった児相を後に再び"ひばり"。正直"どうして..."と言う思いはぬぐえなかった。しかも管理課建設準備班。福祉職が管理課で施設再整備担当になることが理解できないだけでなく、再びのひばりにも違和感があった。しかし、1年後の地域サービス担当は充実感溢れる環境だった。管理課での業務は①入所調整、②地域サービスの企画立案、③研修事業の企画立案などだった。

 横浜にありながら横浜、川崎以外の地域を担当する地域サービスは、最初から崩壊していると思えた。当時、県障害福祉課にいた当法人3代目理事長故西田信嗣さんから"難しいけどやれるだけやってみなさい"と言われた。出来るところから始めようと"母子短期入所""短期入所""療育相談"等を考えた。当時としては結構なメニューが始まると、児相や福祉事務所から相談が来た。入所前提の相談が多かったが、なかには親子で暮したい気持ちがありながら入所を考えている人たちがいた。「養護学校義務化(昭和54年)」が更に拍車をかけた。長く一緒に暮らした家族はわが子と別れる入所の選択を避けたかった。時代が求めたサービスは、家族の求めに応じ、家族の想いに後押しされて展開された。"作業所支援""母子キャンプ"など、家族からの要望に添って拡大が図られた。

 "母子キャンプ"とは、"母子短期入所"を経験した親子のフォローアップ事業で、夏季帰宅時の寮を利用した12日の施設内キャンプ。職員不足は実習生に頼った。母子対象事業だったが、お父さんから参加希望があり方法を考えた。県の担当者に参加者の感想文を持参し、父親が参加出来るように懇願した。また18歳を超えた人の参加も。結果「家族短期入所」の名称となり母限定も年齢も解除されたが、時代に伴うニーズの変化で事業は消えた。同様に"緊急一時保護"が"一時保護"となり、"一時利用"に変わった。今は入所施設だけではなく、「はんもっく」「GH体験利用」なども加わりバリエーションが増えた。

沢山の地域サービス事業の"種"は親たちの発想、要望から生み出された。今もひばりの地域サービスが先駆けの一つだと思っている。その頃、藤沢では親たちが新たな"芽"を育んでいた。『星の村地域作業所』である。市民に呼び掛け、親たちが活動して現在の(福)藤沢育成会が動き始めた頃は、障害者が障害者として、地域の人たちと一緒に暮らすための"芽"を育てた。施設から飛び出したサービスは、地域の中でもっと花開かなければならない。(2017.7-②)

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