おさ'んぽ~体験的福祉の歴史散歩~⑤

 福祉サービスの意味や意義、役割の大切さを学んだ地域サービス担当を突然後にした。この頃"個別支援"を個≒個人(障害当事者)でなく家族(親や兄弟姉妹)、更に周辺の人々にまで配慮できるサービスでなければならないと考え始めた。そのためのサービス手法をテーマと考えていたが転勤先は老人福祉課施設班。不足している特別養護老人ホームの建設、運営指導。「松寿苑火災事故(昭和62年)」直後で全老人ホームにスプリンクラーを設置する時だった。何人もの高齢者が火災に巻き込まれ、避難しようとした扉に鍵がかかっていたことが社会問題となった。社会問題から法制度の不備が検証され改正されることを初めて体感した

 この仕事は、毎日要綱、要領とのにらめっこ。地域サービス担当の頃は、障害当事者の歩んだ道程を克明に調べ、関係者それぞれの考え方を整理、推量し評価(アセスメント)していたので違いに戸惑うばかりだった。また、これまでは福祉関係法だけだったが、建築、土地所有、防災、農業用地など多岐にわたる制度の整合性を承知しなければならず守備範囲の広さに驚き恐れた。更に追い打ちをかけたのが数字。桁を間違えれば億の違いになる。それ以前に桁が読めない。ようやく読むと"単位千円"などと右上隅にある。何度やっても完成できず力のなさに打ちのめされた。そんな時、助けてくれたのが仲間。ものめずらしい福祉専攻職への興味かもしれないが、繰り返し教えていただき、終わると憂さ晴らし。誰もが苦しみながら職務を全うしようとする姿を見た。サラリーマンの悲哀は、どんなに元気で仕事をしている人にも潜んでいる。 

事務仕事の価値が判らないまま転勤したが、今になって思えばこの頃の学びが重い。その頃、退職後に非常勤職員として監査に携わっていた先輩は、利用者の小遣い帳を見て不必要な買い物を指摘。それは施設が準備すべき物品だったため指摘事項となった。小遣い帳で支援を診断していた。日常の暮らしや何を大切にしているかを数字から見る。事務・庶務の仕事が"支援"のあり方を映す。初心者にそこまで判ったわけではないが、時間が経つにつれて重みが判り、じわじわと仕事の比重が変化する体験だった。苦しみもがいた体験を経て再び入所施設に戻った時、事務職員との話合いがスムーズだった。自分の領域だけで考えると狭くなるが、周辺領域からも考えられると幅広の"支援"が出来る。だが、社会福祉は幅が広く奥が深いと考えられるのはもう少し先。時代は昭和から平成に移り、社会福祉の姿が大きく変わる兆しが見える頃の話。

 

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