おさ'んぽ~体験的福祉の歴史散歩~⑥

 久しぶりの入所施設勤務で時代の変化をジワリと感じた。"小グループで支援したい""個別に旅行したい""食事を選びたい""鍵のない暮らしがしたい"...。これまで疑問も持たず過ごしたことが少しずつ解凍され、ノーマライゼーションに向かいだした。何もかも出来れば良いが現実は甘くない。この時、課題が多い時は優先順位を考えると学んだ。会議のたびに小グループ化を検討したが、職員と利用者のバランスが悪く、建物構造など環境からの限界があった。だが、話合いの結果出来るだけ同じ職員が関わるようにしようと意識が変わった。個別旅行は思わぬところから動き出し、職員と利用者の会話から無理してもやってみようとなった。職員は自腹、年休を覚悟した。職員に一部負担をお願いして実施した旅行は利用者の満面の笑みで終了し、のちに参加者たちは就労が叶い、グループホームに住み始めた。旅行で生まれた自信が大きく、個別支援の価値を実感した。

 入所施設の限界を感じたのは制約の多さだが、それをさらに強く感じたのが"選択メニュー"。一つの寮で始まった試みは、厨房との相談の結果、丼物で2者択一なら出来るとなったが、誰一人選べない。"選ぶ"という経験のない利用者たちは困惑しきり。人は体験することで学習し身に着ける...と見せつけられた。知的障害者は言語化されたものを推理、想像することが苦手。それなのに体験するチャンスを作らなければ学習の機会を職員が、環境が潰している...。それは知的障害者が暮すにふさわしくない環境だ...と。今では当り前の"個別支援"だが、施設である限り施設自身が限界を作ってしまう...。個別化するためには入所施設という環境が間違っている。身体障害者が「私たちに危険を冒す自由を下さい」と宣言したことと重ね、出来ないのではなく出来ないようにしている"誰か""何か"を考えるべきだと思った

すでに通所施設が法制化されていたが、自宅から通う場の不足は顕著だった。そんな中、神奈川発信、全国的に胎動したのが"地域作業所"。入所施設に限界を感じた職員や通える場を創りたかった親達が、ほとんど素人だが施設経営の難しさを考える前に動いた。後追いだが県の単独事業として地域作業所補助がスタート。ここまで来ると入所施設を選択する家族と地域で暮そうとする家族に別れた。入所施設は施設内だけで動く所と、作業所等と協働しようとする所に分かれた。良いことは良いと言っても、続けられなければそこに集った人々に迷惑をかける。どのように持続可能な地域サービスを行うか...が本来だが、当時はとにかく始めようとスタートした。それでも障害者が地域で暮す考え方が始動し、福祉サービスの役割を今一度考え直す機運が芽生えた。(2017.9-②)

ページトップへ