だいちのピアノ

年に一度、我が家に調律師が来る。長い付合いだ。子どもたちが独立し弾く人はいない。だが、調律の日、連れ合いが弾いたと話した。調律が終わると何となく弾きたくなる。習ったことはないが、和音をつけてメロディーを弾くくらいは出来ると思っていた。子どもの頃、ピアノのある家がうらやましく習いたかったが、明治生まれの父は許さなかった。父は子どもの私に「女房子供を食わす男が音楽などにうつつを抜かすんじゃない!」と。中学に入ってブラスバンド部に入ったが病に倒れた父は知らなかったかもしれない。内緒だったが兄がトランペットを買ってくれたのがうれしくて遠方まで取りに行った。だからピアノへの憧れと劣等意識が入り混じって心の奥にある。

 そんな思い出のためか、ど~んとピアノがある「だいちの森」のスペースが好きだ。定期的に弾き語りをして下さるTOMOKOさんは、CDデビューをしたシンガーソングライター。だいちの森に入ると静かに流れるCDTOMOKOさんの曲。穏やかで語るような歌い方は、ライブで聞く時とまた印象が違う。でも、やっぱりライブでピアノの音が森全体に広がる時が一番。いとぐるまの利用者さんも静かに聞き入ったり、一緒に歌ったり楽しい時間をいただいている。だいち開所以来定期的に来て下さるTOMOKOさんに感謝。

 ピアノがひそかに大活躍する時間がある。ピアノはずっといる。昔のように鍵もない。だから、思いがけずクラシックのピアノ曲を弾いてくださる訪問者(利用希望者の母親)もいる。また、利用者がピアノの前に座ることもある。その時の感情に任せて強く弾く音もあるが、穏やかな音もある。うらやましいな~と思う。実にうらやましい。どう弾くかばかり考えてしまうので、その時の感情に任せた音が出せない。どこかでオブラートに包みながら上手く弾こう...なんて出来もしないことを考えてしまう。結局、怖くてピアノの前に座りたいが出来ない。いまさらピアニストを目指す訳でもなく、好きに弾けばいい...と判っていても出来ない。そんな時、利用者がピアノを弾き始めた。音を探りながら弾く曲はメロディーがしっかり弾けている。和音は時折あやういが、リズムもしっかりしている。穏やかな表情、身体でリズムをとる姿は楽しそう。近くにいた利用者がその姿に引き込まれるように一緒に歌いだした。こちらも笑顔で楽しそう。だいちが出来る時、「街にたまり場を作ろう!」がコンセプトだった。4年目。だいちの森は確実に"たまり場"になりつつある。利用者がピアノを弾いて良質な空間を演出していると思うとうれしくなる。ゆっくり、じっくり、しっかり育てたい"芽"を見つけた。(2017.10

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