イメージを創る

 スポーツ、ニュース番組以外はTVをライヴで見なくなった。録画して空いた時間で見るとマイペースで見ることが出来る。そうなると好きなものだけ見るようになるので趣向が変わった。ドラマが始まる頃は色々録画するが、自然淘汰され興味のない番組は見なくなる。深夜番組など見なかったが、録画して見る。例えば『駅(空港)ピアノ』は最近のお気に入り。駅にあるピアノを設置カメラが映す。演奏後ちょっとだけインタビュー。内容は編集してあり、映しきれないひととなりをテロップで流す。誰でも弾けるピアノがあることが文化だと思うが、これほどたくさんの人が弾く姿に驚く。映し出された人の人生は様々でホームレスから移民、プロを目指す音大生、プロ音楽家等、次々に好みの曲を演奏する。皆一様に笑顔だ。これだけの番組に人生を感じ、暮らしに根付く音楽を観る。バカ笑い番組とは無縁となった。また、番組が終わると消す習慣がついた。

 

食卓近くにはテレビがないのでラジオを聞く。平日の朝食時はNHK三宅アナウンサーが身近な内容を交えてニュースを紹介。聞き漏らすと判りにくくなるが、だからしっかり聞こうとする。テレビでは聞き漏らしても映像やテロップで判るから印象が薄い。そんな違いを感じていると相方が話しかける。ラジオの音と交錯し聞き漏らす。それはそれでいい。休日、朝食時間にラジオドラマが始まった。認知症になりかけた父親の話しを西田敏行と竹下景子が演じていた。父親の症状の変化が丁寧に描かれ聞き入ってしまった。聞き入れば聞き入るほど映像が鮮明になる。父親が困惑している様子、怪訝な妻、それを見ている娘、ナレーションが補足。テレビドラマと違い、自分で映像を作る作業が面白い。短いドラマだったが確実に自分のイメージを持ち、膨らましていた。

 

 かつて週刊誌に"パワポ馬鹿になるな!"の記事があった。パワポで研修を受講、新商品をパワポでプレゼン...の時代。誰もがパワーポイントの価値、効果を認め、何処でも使う時代に"パワポ馬鹿"はない...と思わせたが、すべてを示すと簡単に判った気になる。バラエティー番組で、訳も判らず笑う姿や笑い声を出し"笑い"を誘発する。笑わないと意味が分らないおバカさんになる気がして迎合する。娯楽は嗜好であり、伴う感情は自分自身のもの。そこまでコントロールされるのは心外。テレビを"一億総白痴になる!"と批判したのは大宅壮一。過去の話しだが、本当に総白痴になったか...。時折、学生に頭の前にスクリーンを作って、そこに自分が創った映像を映して聞きなさいと話す。ハンディがある人、差別されている状態、苦しんでいる人を言語で理解するのではなく感じて欲しい。最近は基礎学力を○×で評価されてきたからこれが苦手。多様な答えが考えにくい。本来ドラマは見た人の数だけ印象が違うが、今はみな同じ印象を求められているようだ。本当は、それぞれ違うということが判らない。だから、対人援助がマニュアル化し画一化。「個の尊重」など絵空事。この仕事のプロとして本物になるにはこの問題が大きい。(2019.8

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