だれにもやさしい街づくり~ビジュアル化

 長いことテレビが日常になっているが、子どもの頃「テレビは害!」という父に従い家にはなかった。法政二校が夏春連覇した時、それを長兄が破り家に来た。暑い盛りにテレビにかじりついた。友達のお兄さんが同級生だった当時のエース柴田さん(元巨人)のサインを見て心躍った。それまではラジオが娯楽の中心。夕方NHKで子ども向けラジオドラマがあった。少年冒険ドラマは欠かせない。情景、状況を想像しながら聞いた。映像が浮かび上がる。言葉だけでなく、風や馬の駆け抜ける音などの"擬音"が駆使され想像を掻き立てる。テレビになると大きく変わり表情や衣装など"見える化"が進み表現が多様化した。

 

 映像が映ると言葉を駆使する必要がなくなり現物を見れば判る状態になる。「TEACCH」は、判りにくい言葉や内容をビジュアル化することを推奨する。療育現場の多くが絵カードや写真を駆使して日程を表す。悪く言えばこれがないと療育ではないと言わんばかり。"絵カードが使えない場ではどうするの...""カードなしの社会生活が出来る..."などと考え込む。障害児には良い面があるのは承知しても、社会で使えない道具が療育...。かつて聴覚障害児の学校で手話を教えなかった。手話で話せる人は社会では少数派だから。当時の主流は"口話"。話す人の口の動きで言葉を理解する手法は、とてつもない努力の結果獲得する難しさから、なぜ手話を使ってはいけないかと批判があり、両方が使えるようになった。しかし、手話を使える人はわずか...という理由を捨てきれない。社会基準に合わせなければならない暮らしが障害者には多くある。すべてを社会が準備するのを待つと社会生活へのハードルが高くなる。だから、人々≒障害児・者は"社会基準"に併せ暮らす努力をする。もちろん出来ることと出来ないことがあり、社会基準に合わせられないものがあるが、その努力を含めて"インクルージョン藤沢"を目指すべきだろう。

 

 東京オリンピックの話題は絶えない。様々な案内表示も工夫される。日本語は世界から見れば少数派。各国言語が並んで表示され、デザイン化されたマークが駆使されるだろう。絵カードや写真があれば誰もが見やすい。パワポと言い、テレビと言い、スマホと言い、現代社会は多くビジュアル化されているが、障害者の暮らしに役立つまでに至っていない。テレビ慣れした現代人は、言語化だけで映像を想像することが苦手なようだから様々にビジュアル化してくれたら障害児・者にも判りやすい...。つまり、障害児・者が社会化することと、社会が誰にもわかりやすい表示をすることが歩み寄る必要がある。神奈川県が全国に先駆けて策定した「福祉の街づくり条例」の標語 "障害者にやさしい街づくりは、誰にもやさしい街づくり!" を思い出す。その結果各駅に設置したエレベーターは、確かに障害者だけでなく、高齢者にも、ベビーカーを使っているママさんにも、荷物が重い若者たちにも役立っている姿はすでに当たり前になった。街角の表示にもイノベーションが起こることを期待して...。(2019.9

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