「アランの幸福論~行動の人~(3)」(湘南あおぞら・倉重 達也)

 日曜日の天気の良いお昼時、子ども達が公園に集まって昔ながらの「かくれんぼ」に興じている。鬼に見つからないように植え込みの陰に隠れるもの、砂場に腹ばいになるもの、皆、嬉々として楽しんでいる。

 その隣のコートでは大人たちがフットボールに夢中で、やれシュートだ、パスだと歓声をあげている。

 アランはこうした予見できない材料にもとづいて、すみやかにある行動を描き、そしてただちに実行すること、それが人生を申し分なく満たすことだと言っている。

 かくも人は行動することを好む。

 アランはまた、自分の好みからと断ってだが、幸福な職業として警視総監を挙げている。理由は、絶えず行動することを迫られているからだ。やれ火事だ、水害だ、地すべりだ、病気もあれば貧乏もある。そんな状況では嫌がおうでも決然とした行動が要求される。

この知覚と行動という二つの水門が開かれると、生命の河は人間の心を軽い羽根のように運んで行く。そうやって、反省によって育まれた情念の群れは飛散してしまい、優柔不断の門は閉ざされる。

 しかし行動の危険なことは、すぐに人はそれにおぼれてしまい、行動の流れのなかでは正義もまた消えてしまうことだと警告している。そこから行動の恐るべき力が生まれる。そして暴力まではあと一歩だ。

 アランが警視総監をもっとも幸福な人間だとは言っても、もっとも有益な人間だとは言わない由縁である。

 

以上

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