青い鳥を探して(19) (事務局・増田 達也)

大野更紗さんが書かれ、3年前にベストセラーになった『困ってるひと』と、昨年出版された『さらさらさん』という著書を読みました。大いに刺激を受ける内容で、特に下記の言葉が心に留まりました。

 

 「自立」って、果たしてどういう意味なのだろうか

人間には生まれながらの「人権」や「尊厳」があると日本国憲法に表記されているではないか。

そもそも、難病や障害があるからといって、

なにゆえこのように声すら殺して苦しみ続けなければならないのだろうか。

自分のやりたいことができない、自分が行きたいところに行けないのが当たり前なのだろうか。

「権利」はただの「建前」で、我慢し続けるのが「美しい」とはどういう理屈、

というか理屈になっていないではないか。

「頑張れば、なんでもできる」・・・・わけがあるかあ――――   (『困っている人』より)

 

私は、「人の助けを得ないで、自分のことは自分で出来るようになること」も「自立」だと思いますが、だんだんと出来なくなってしまうこともあるので、「必要な助けを、お互いに認め合い支え合えること」も「自立」だと思ってきました。それを認識させられたのは、以前湘南セシリアを短期間利用された、手がご不自由なSさんから「お尻が拭けないから、トイレに付いてきて尻拭きして下さい」と言われたことからです。出来る出来ないという視点から見れば、Sさんは自立していないでしょう。でも、自分の出来ないことや弱さを隠さず、素直に人の援助を受けられる、さらに「忙しいのにありがとう」と援助者の気持ちを爽やかにしてくれる姿に触れ、この人は本当に自立した人だと思いました。「自分で尻拭き出来ることが自立だから、自立に向けて頑張りましょう」とは言えず、只々「障がいを個性と呼べるまでに克服された逞しさ」に脱帽しました。

私の「自立とは何か?」を考えることはこの時点で止まってしまい、その後は、自分は「人から援助を求められた時、ちゃんと応じているか?」、逆に「プライドや恥ずかしさが邪魔しないで、素直に人に助けを求めているか?、将来、Sさんの立場になった時、お尻が汚いままで良いから・・・と助けを求めないことを選択してしまうのか?」と自問してきました。でも「筋膜炎脂肪織炎症候群」「皮膚筋炎」という難病の大野さんのこの著書を読んで、私の考えは健常者サイドの浅い視点だったと思いました。語弊のある言い方であればお許し頂きたいのですが、障がいのある方にとって人の助けを得ることは、恥ずかしい・・・等という選択や自問の余地のない、また、「障がいは個性」・・・とは言ってられない切実な問題だと思うからです。

 

私は今、ある程度、自分で自分のことが出来ます。でも将来ほぼ確実に(場合によっては明日急に)、全面的に人のお世話にならなければ生きてゆけなくなると思うので、障がい者の方たちの苦しみ、悲しみは、私の人生の延長線上にあると思いますし、「想像力を働かせて、他者の苦しみに寄り添えること」が「自立」なのだろうと思いました。

 

「頑張れば、なんでもできる」・・・・わけがあるかあ――――

大野さんの叫びを聞いて、頑張れない現実があることにも想像力を働かせ、「自分のことは自分でしましょう。人の助けを得ないで頑張りましょう」だけでは、歪んだ自己完結・自己責任・自立論になってしまう危険性があることを肝に銘じなければならない・・・、と思いました。

 

軽々しいコメントは差し控えるべきだとは思いますが、続きは2ケ月後の次回に・・・。

 

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