子どもの大人言葉と大人の子ども言葉(サービスセンターぱる・小林 博)

 自家用車で通勤していたのだが、その車が故障してしまい、もう10年も乗っていることだし買い換えようと廃車にしたのだった。そもそも自動車というものに興味関心が極めて薄い。取り敢えず便利だから通勤に使っているだけなので、代わりの自動車は車輪が4つついていて、とにかく走りさえすればいい。ディーラーさんに頼んで、適当な中古車を探してもらっている。
 

 という訳で、ここ数週間はバスで通勤している。自宅は羽鳥にあるので、高山車庫から藤沢に出る。藤沢から大船行きに乗り換えて小塚で降りる。2系統のバスを乗り継いでいるわけだが、ここ1週間ほど藤沢?小塚間はバスに乗らずに歩くことにしている。特に健康のためとか大それて考えているわけでもないのだが、NHKの『ためしてガッテン』で紹介されていた、「時々早歩き歩き」を実践しているのである。これがなかなか良いのである。まずは普通の速度で歩き始める。ある程度歩いたところで、早歩きに替える。歩き方に少し負荷を掛けるわけだ。この早歩きも余り無理はしない。50メートルかそこいらのところで止めて、また普通の速度に戻る。しばらくして、また早歩きを50メートルほど行う。普通歩きと早歩きを交互に繰り返す歩行法である。

 小林写真1.JPG

 『ためしてガッテン』の志の輔さんと小野さんの解説によると、この歩き方をすることで「やる気」が増進するという。普通歩きから早歩きに替えることで少し体に負荷がかかる。「頑張っている」状態になるわけだ。50メートルほど早歩きして止める。そうすると脳から「よく頑張ったね」というご褒美が発せられるのだそうだ。脳内物質のなんとやらが分泌されるらしい。この褒められ感は普段の生活にも影響して、生活全般に「やる気」が充満してくるというのである。『ためしてガッテン』のファンで、「人から良いと言われたことは、取り敢えず何でも信じてしまう」体質の私は、ここ1週間ほどせっせと「時々早歩き歩き」を実践しているのであるが、さて「やる気」が生活全般に充満してきているかどうかは、まだ分からない。が、体がすっきり動き易くなってきているのは確かである。
 

 某日、朝、高山車庫で藤沢行きのバスを待っていると列の前に4歳と6歳くらいの男の子の兄弟と母親の三人連れがいた。雨模様なので男の子たちはかわいいカッパを着ている。慣れないカッパの着付けについて、お母さんが子どもたちに教えている。その口調がとても優しい。良いお母さんだなあ、ちゃんとした子育てをしているなあ、と微笑ましく嬉しくなった。バスを降りる時、親子三人連れが私の前に並んだ。お母さんが降り、お兄ちゃんが降り、最後に弟君が降りて行った。
「運転手さん、ありがとう。また乗せてね」
バスのステップを降りる前に、その弟君が大きな声で運転手さんにお礼を言った。声はかわいらしかったが、立派な大人のあいさつだった。

 

 小林写真2.JPG

 藤沢から職場までは歩くことにした。例の「時々早歩き歩き」である。まず、普通の速度で歩き始める。100メートルほど歩いて、意を決して早歩きを始める。どこまで早歩きするか目標地点を決めるのがポイントである。50メートル先のあの電柱まで頑張る、と決める。さらにここがポイントなのだが、その目標の電柱まで来てもそこで普通歩きには切り替えない。あと20メートル先のあの百日紅の木まで、とさらに目標を延ばす。百日紅の木まで来たらさらに10メートル先の自動販売機までと目標を延ばす。そして、自動販売機まで来て、ゴールイン。これで脳から大量のご褒美物質が分泌されているはずだ。一人満足の笑みを浮かべ、普通歩きに戻る。
 

 

 こんな歩き方をして、職場近くのセブンイレブンの前あたりまで来た。ふと思いついた。この話を今度の施設長日記にアップしよう。施設長日記には写真が必要だ。立ち止まってiPhoneを取り出し、歩道の先をパチリと撮る。ついでに歩いている雰囲気を出そうと、足先も何とか撮ろう。こんなことをしていると、後ろからいきなり不機嫌な声が響いた。
「ちょっと邪魔なんだよ」
確かにiPhoneをかざしながら、堂々と道をふさいでしまっている。
「ああ、すいません」
と慌てて脇に逸れて道を譲った。中年の男性が、通り過ぎていった。さらに罵声を浴びせるようなことはなかったが、それでも無言の肩のあたりに怒りがにじんでいた。確かにこちらが迷惑をかけており、弁解の余地はない。でも、ものの言い方というものはあるだろうに。
 
 先ほどバスを降りるときに聞いた、4歳くらいの子どもが運転手さんに向かって言った言葉が甦った。
「運転手さん、ありがとう。また乗せてね」
かわいらしい声音だったけれど、運転手さんへの感謝とねぎらいがこもった立派な、大人の言葉だった。
それに引き替え、先ほどの中年の男性の
「ちょっと邪魔なんだよ」
という苦情の言葉はどうだろう。いくらこちらに非があるとは言え、相手に対する礼節というものが少しも感じられない。これは道をふさがれて邪魔だという自分の不快さをただ相手にぶつけているだけの言葉だ。子どもの言葉だ。普通の大人は、「すいません。道がふさがってますが・・・」くらいの言い方をするものだ。

 

 大の大人が子ども言葉をまき散らし、4歳の子どもが立派に大人言葉を使いこなす。言葉というものは、なかなかに奥が深い。

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