「傘」(よし介工芸館・湘南だいち 伏見 康一)

先日、折り畳み傘を失くしてしまった。

もともと、傘をさすことが面倒な性分ゆえ、出来るだけ使わないようにしているものだが、無いと判ると不安が増す。入念に天気予報を確認し、急な雨に当たらないかと用心していた。出発時からすでに降雨なら長傘にすればよいので話は早い。かといって用心の為だけに長傘を持ち歩くのは、面倒であるのを超え、どこかに置いて失くしてしまうのが関の山。手持ちの傘が底を尽きてしまうのは避けたい。やはり長傘は必要な時にしか持ち出せないものだと自答する。

 

傘を失くした理由は明白で、使うリュックを替えたから。仕事用のリュックには下に折り畳み傘専用のポケットが付いているのだが、ある日ふとリュックを見るとチャックが空けっぱなしで、折り畳み傘は入っていなかった、という顛末。どちらかというと用心深い性質ではあるが、うっかりしていたのだろう。全ては自分のせいだと受け入れつつも心のどこかにそうでない気持ちが沸き起こる。

 

そもそも、なぜ傘を差さなくてはいけないのか。などと考えてみる。傘をさすと必ず片手は塞がり、風にも煽られやすい。濡れたあとは滴が垂れるし、開いて干して置かなければ乾かない。

顔認証させたドローンが頭上を飛び雨除けをするドローン傘や、水滴が付着する直前に反発する素材などの開発はないものか。傘が雨を避ける最終進化系なのか、開発の余地はもっとあるはずじゃないか、など愚考ばかりが虚しく広がる。

 

やはり、いろいろと考えてはみるが、失くした責任は自分にあるのだと納得。とても単純な事で折り畳み傘を持つのも、専用ポケットに入れるのも、荷物を入れ替えるのも、すべては私一人がしたことなのだから。自分が関与しているものは自分に責任があり、関与できないものはどうすることもできない。そして今回はすべて私一人で関与したこと。只々早いこと新しい傘を買えばよい、それだけのことだ。

 

でも待てよ、本当に落としたのか、と気になり、もう一度探してみた。するとポケットの奥から傘が出てきた。失くしていなかったのだ。用心深い性質より慌て者の性質が勝ってしまった。「雨が降ったら傘をさす」だけでなく、いっそ「止むまで雨宿り」もいいものだなあ、と今更思いつく。自分自身の状況をしっかりと知ることと気持ちの余裕こそが一番大事なのだと教訓を得た。

 

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                         先日雨の熱海を散策。折り畳み傘が活躍しました

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