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藤沢育成会 理事長日記 | 最新の日記
社会から障害者を見ると

 障害者施設で働き続けると障害者への配慮は当り前に感じ、社会の配慮の現状、限界に気づかないことがある。この結果障害者は社会のルールに従わなくてもいいことになりかねない。"インクルージョン藤沢"は施設で配慮すべきすべてが許される街を求めているのではない。それは彼らの可能性を否定しかねないから厳に慎まなければならない。判りにくいのでたとえを考えたい。

 

 民生委員の研修会で「みんな整列しているのに横から入って好きな一番前の席に座ってしまう人がいるが、何とかならないか。」「そのままで本当に良いのか...」と聞かれた。"障害者だから多めに見てください"と言えるかもしれないが、そうは答えられなかった。状況を聞くと始発のバス停で全員座れる、他の人は黙認しているという。そこで"皆さん受け入れてくださっているんですね。ありがたいことです。"と応えた。障害特性を承知しているかどうかは分らないが、全面否定されていないことから地域の寛容さを見つつ"地域を協力者に"というTEACCHの原則を思い出した。次に、それなりに混んだ車両の一角だけ空席があったので見ると利用者とヘルパーさんが座っていた由。そういえば、満員電車で運良く座れた横に座った女性がアニメから出てきたような姿で目を引いた。しばらくすると独語。奇妙な印象は免れないと思っていたら反対側の人が降りるともなく立ち去った。自分に関わることでなければ許せても自分に関係すると拒否感が芽生える。通勤時間より少し遅れて出勤すると大学の通学時間になる。障害者の事業所に通う時間と同じだ。多くはルールに従っているが、時に強いこだわりからやむにやまれぬ行動がある。見かけた人は車両を往復する人。だが行動が始まると学生たちが少しずつよけて中央にスペースを作った。"好きなだけどうぞ!"と言っているようでとてもうれしい光景だった。

 

相模原事件後、それなりに成功した年配者に植松被告を否定できない人がいたと聞いたが、若者たちにはそのような感覚はなさそう。一概には言えないが、団塊の世代は競争社会に生きてきた。しかも当時は障害者が学校に通う姿はなかった。だから障害者と共に暮らすことはまれだった。地域で生活できる障害者は、社会的ルールを守れる人以外はいなかった。だから、年齢によって障害者を受け入れる感情が芽生えることに差が出るのは当然か。学生や生徒、児童たちが自然に障害のある人を受け入れる姿がうれしい。この先さらにそのような人が増えるだろうと思う反面、まだ"総論賛成、各論反対"で、自分と関わることは別...の域を抜けだせていない。一方、障害者とかかわる仕事をする人は総論の中で安心して暮らし、支援していることも気がかり。本当は利用者の可能性を信じて社会との接点を創る支援が求められている。だから社会的基準値をしっかり見据え、障害特性に配慮し"折り合い"をつける支援に努めなければいけない。今が良ければ良いという支援は、利用者をバカにしていることになりかねないと自覚したい。(20199②)

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だれにもやさしい街づくり~ビジュアル化

 長いことテレビが日常になっているが、子どもの頃「テレビは害!」という父に従い家にはなかった。法政二校が夏春連覇した時、それを長兄が破り家に来た。暑い盛りにテレビにかじりついた。友達のお兄さんが同級生だった当時のエース柴田さん(元巨人)のサインを見て心躍った。それまではラジオが娯楽の中心。夕方NHKで子ども向けラジオドラマがあった。少年冒険ドラマは欠かせない。情景、状況を想像しながら聞いた。映像が浮かび上がる。言葉だけでなく、風や馬の駆け抜ける音などの"擬音"が駆使され想像を掻き立てる。テレビになると大きく変わり表情や衣装など"見える化"が進み表現が多様化した。

 

 映像が映ると言葉を駆使する必要がなくなり現物を見れば判る状態になる。「TEACCH」は、判りにくい言葉や内容をビジュアル化することを推奨する。療育現場の多くが絵カードや写真を駆使して日程を表す。悪く言えばこれがないと療育ではないと言わんばかり。"絵カードが使えない場ではどうするの...""カードなしの社会生活が出来る..."などと考え込む。障害児には良い面があるのは承知しても、社会で使えない道具が療育...。かつて聴覚障害児の学校で手話を教えなかった。手話で話せる人は社会では少数派だから。当時の主流は"口話"。話す人の口の動きで言葉を理解する手法は、とてつもない努力の結果獲得する難しさから、なぜ手話を使ってはいけないかと批判があり、両方が使えるようになった。しかし、手話を使える人はわずか...という理由を捨てきれない。社会基準に合わせなければならない暮らしが障害者には多くある。すべてを社会が準備するのを待つと社会生活へのハードルが高くなる。だから、人々≒障害児・者は"社会基準"に併せ暮らす努力をする。もちろん出来ることと出来ないことがあり、社会基準に合わせられないものがあるが、その努力を含めて"インクルージョン藤沢"を目指すべきだろう。

 

 東京オリンピックの話題は絶えない。様々な案内表示も工夫される。日本語は世界から見れば少数派。各国言語が並んで表示され、デザイン化されたマークが駆使されるだろう。絵カードや写真があれば誰もが見やすい。パワポと言い、テレビと言い、スマホと言い、現代社会は多くビジュアル化されているが、障害者の暮らしに役立つまでに至っていない。テレビ慣れした現代人は、言語化だけで映像を想像することが苦手なようだから様々にビジュアル化してくれたら障害児・者にも判りやすい...。つまり、障害児・者が社会化することと、社会が誰にもわかりやすい表示をすることが歩み寄る必要がある。神奈川県が全国に先駆けて策定した「福祉の街づくり条例」の標語 "障害者にやさしい街づくりは、誰にもやさしい街づくり!" を思い出す。その結果各駅に設置したエレベーターは、確かに障害者だけでなく、高齢者にも、ベビーカーを使っているママさんにも、荷物が重い若者たちにも役立っている姿はすでに当たり前になった。街角の表示にもイノベーションが起こることを期待して...。(2019.9

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"文化"が変った?!

 "一燈を持ちよろう!"の合い言葉と共に神奈川県内一斉に募金活動をしたことがあった。「ともしび運動」である。またたく間に広がり募金活動は活況を呈した。当時の神奈川県知事長洲一二氏が提唱した運動で寄付を集め様々な社会福祉事業が展開された。障害者の働く場として創設された喫茶店にも"ともしび"と冠し、県民であればだれもが聞いた言葉だった。それより前に全国に広まった募金活動が「赤い羽根共同募金」。社会福祉法人全国共同募金会が組織され、最近こそ集金力に陰りが見えるが、学校や町内会、企業など身近な組織に密着して安定した活動を続けている。おかげで多くの社会福祉法人が何らかの恩恵に預かっている。

 

中学生の頃、この"赤い羽根"のために学校ぐるみで募金活動を行い、生徒会活動の一環として放課後や日曜日に制服で街頭に立った。当時から趣旨を理解していない人もいて"いくらですか?"と聞かれることもあった。説明したうえで"おいくらでも..."と話すが"いくらなんだよ"と怒り出す人も。話し好きが募金箱の前を占拠し募金しようとしている人をさえぎることもあった。高学年になると横浜駅、伊勢佐木町商店街まで行った。中学時代のこの体験は、募金活動の趣旨を理解する場面であり、社会の人々を理解し、自分自身が社会の中で暮していることを実感するとても良い場だ。だが、最近は民生委員児童委員や老人クラブの人々がほとんどで子どもの姿を見ない。それほど寸暇を惜しんで勉強している訳でもないだろうが、求められていることが違うようで子どもが消えた。もちろんネットでも活動しているが、街頭で見かけるのは交通遺児グループ。学生中心の主体的活動。若い声が街頭に響く時、応援したくなるが、寄付金が集まりにくいのは共通課題。

 

 一方で定着した様子の"ふるさと納税"には"返礼品"がある。次第に"返礼品"目当てが増えた。だから"返礼品"合戦が始まり、珍しいもの、付加価値があるものなど地元の商品ではないものが増えた。驚くのは7割まで返礼品の地方自治体だ。大阪府泉佐野市。笑えないのは本来の目的を逸脱しているから。そこで総務省が3割まで、地元産に限るとした。しかし泉佐野市は従わない。ふるさと納税は、育った土地で就職せず都会で働く人々が多くなり地方自治体の税収が上がらず困窮しているためにスタートした制度。住んでいる自治体への所得税納税だからこの問題が起きる。育った地域への配慮、好意がふるさと納税だ。しかし、今は見返りがないと動かない。買い物時のポイント制度も同様で店舗選びがポイントで決まる消費行動がある。プライバシーがすべて見透かされることなどお構いなし。社会福祉事業や社会問題への募金活動が低下したこととふるさと納税の過当競争から日本人の行動パターンが透けて見える。社会福祉事業も変わらなければ時代に取り残される。(2019‐⑤)

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イメージを創る

 スポーツ、ニュース番組以外はTVをライヴで見なくなった。録画して空いた時間で見るとマイペースで見ることが出来る。そうなると好きなものだけ見るようになるので趣向が変わった。ドラマが始まる頃は色々録画するが、自然淘汰され興味のない番組は見なくなる。深夜番組など見なかったが、録画して見る。例えば『駅(空港)ピアノ』は最近のお気に入り。駅にあるピアノを設置カメラが映す。演奏後ちょっとだけインタビュー。内容は編集してあり、映しきれないひととなりをテロップで流す。誰でも弾けるピアノがあることが文化だと思うが、これほどたくさんの人が弾く姿に驚く。映し出された人の人生は様々でホームレスから移民、プロを目指す音大生、プロ音楽家等、次々に好みの曲を演奏する。皆一様に笑顔だ。これだけの番組に人生を感じ、暮らしに根付く音楽を観る。バカ笑い番組とは無縁となった。また、番組が終わると消す習慣がついた。

 

食卓近くにはテレビがないのでラジオを聞く。平日の朝食時はNHK三宅アナウンサーが身近な内容を交えてニュースを紹介。聞き漏らすと判りにくくなるが、だからしっかり聞こうとする。テレビでは聞き漏らしても映像やテロップで判るから印象が薄い。そんな違いを感じていると相方が話しかける。ラジオの音と交錯し聞き漏らす。それはそれでいい。休日、朝食時間にラジオドラマが始まった。認知症になりかけた父親の話しを西田敏行と竹下景子が演じていた。父親の症状の変化が丁寧に描かれ聞き入ってしまった。聞き入れば聞き入るほど映像が鮮明になる。父親が困惑している様子、怪訝な妻、それを見ている娘、ナレーションが補足。テレビドラマと違い、自分で映像を作る作業が面白い。短いドラマだったが確実に自分のイメージを持ち、膨らましていた。

 

 かつて週刊誌に"パワポ馬鹿になるな!"の記事があった。パワポで研修を受講、新商品をパワポでプレゼン...の時代。誰もがパワーポイントの価値、効果を認め、何処でも使う時代に"パワポ馬鹿"はない...と思わせたが、すべてを示すと簡単に判った気になる。バラエティー番組で、訳も判らず笑う姿や笑い声を出し"笑い"を誘発する。笑わないと意味が分らないおバカさんになる気がして迎合する。娯楽は嗜好であり、伴う感情は自分自身のもの。そこまでコントロールされるのは心外。テレビを"一億総白痴になる!"と批判したのは大宅壮一。過去の話しだが、本当に総白痴になったか...。時折、学生に頭の前にスクリーンを作って、そこに自分が創った映像を映して聞きなさいと話す。ハンディがある人、差別されている状態、苦しんでいる人を言語で理解するのではなく感じて欲しい。最近は基礎学力を○×で評価されてきたからこれが苦手。多様な答えが考えにくい。本来ドラマは見た人の数だけ印象が違うが、今はみな同じ印象を求められているようだ。本当は、それぞれ違うということが判らない。だから、対人援助がマニュアル化し画一化。「個の尊重」など絵空事。この仕事のプロとして本物になるにはこの問題が大きい。(2019.8

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"求人事情"から見ると...

 かつての痛(通)勤地獄は様々な工夫で多少解消されたようだが、どうしてこれだけの人が...、どこから湧き上がるのだろう...、などと不思議に思うほど多くの人が電車で職場に向かう。その仲間になるために就活する学生がリクルートスーツで街を歩く。そのような服装で企業訪問すらしたことのない者には、同じ服装で会社をめぐる統一性が滑稽にも見えるが、学生には人生を左右しかねない重要な問題。会社側からすれば将来性ある人材の採用は、企業の伸びしろそのものだから真剣。保育系の学生を相手にしていた頃"面接官を面接するつもりで..."と話したが、最近は良い子を演じ好感を持ってもらうために腐心しすぎている。自分らしさを表現しなければ、その後が苦しくなることなど考えが及ばない。事業規模や収入、知名度などが選択する要素の上位に上がる。だから面接で障害福祉の仕事を選んだ理由を聞きたくなるが画一的で"質""個性"を感じない。

 

 一方、社会福祉法人は決定的な"人出不足"。就職支度金を上乗せし、福利厚生の優遇を謳うなど。知ってもらわないことにはどうにもならないので、若者が手にしやすい情報提供に奔走する。仕事とは何か...などと言っていられない。利用者種別でも異なり障害系は人員確保が難しい...、児童系は応募がない...、高齢系は新設施設が人出不足でオープンできない...など。これが非常勤採用ではちょっと事情が変わる。非常勤希望者は千差万別。子育て中だから出来る時間内で働きたいが、落ち着いたら常勤職員で活躍したいと考えている人。一方、専業主婦だが子育てなどが落ち着いたので扶養の範囲内で働きたい人。扶養の範囲が曲者で頑張っていただいているのに扶養から外れる収入になると休止せざるを得ない。ベテランが休止すると痛手だと承知しても...。他に収入が必要でダブルワークも。それは格差社会の一端を垣間見る。一方、専門職やスペシャリストとして活躍した人が、キャリアを生かして少しだけ仕事をする人、これまでとは違った仕事に就きたい人、出来るうちは...と考える人など。実に幅広な働き方がある。

 

 これが社会福祉法人の広報活動に影響を与える。若者にはネット情報が確実。ネット情報はトランプ大統領の"フェイクニュース"ではないが、単なるうわさ話もあるので何とも言い難いが、面接時、確実にホームページを読んだ形跡がある。"地域移行が進んでいる法人だから..."と言われると、"どうしてそう思ったんですか..."などと聞き返したくなる。情報は鵜呑みせずしっかり確認したい。他方、再就職先として考える年代は折り込み広告。しっかりとコンセプトを抑えたい。パート就労や非常勤職員でも長時間働きたい人はネットと折り込みが半々ぐらい。ネットの都合よさを享受している人と、アナログ派を自認する人の違い。このように見ると社会福祉法人が求人広告を出すのは当たり前。それ以上に求人の要素や法人の特色をしっかり表現しないと求める人とのマッチングを見誤る。新聞離れや働き方改革、人材不足の相関が見え隠れ。(20197②)

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